武士道と日本と宗教

『武士道』

この本は、新渡戸稲造によって100年以上前に書かかれたものです。(原文は英語)

あるとき、新渡戸がベルギー人宣教師と話していたとき、話題が宗教の話に及んだそうです。
「あなたがたの学校では、宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか!」
「ありません」と新渡戸が答えると、宣教師は
「宗教がないとは。では一体あなたがたはどのようにして、子孫に道徳教育を授けるのですか」
と、信じがたいという表情でたずねました。新渡戸稲造はこの質問に答えられず、愕然としたそうです。その後、日本人の道徳や宗教観をかたちづくっているものが武士道である、と思い至った新渡戸は、西洋人向けに日本語で武士道の解説書を書いたのです。

外国人は、「無宗教である」と聞くと身構えます。無神論者は、アナーキストやコミュニストのようなものと考えられているからです。生まれながらにして罪深い存在である人間は、神と契約を結ぶことによって悪の心を抑えている、ということなのでしょう。歴史的に常に多民族同士の関係にある大陸文化では、律法によってしか平和を保てなかったのです。

その場合、神の前で行いを正しくすることこそが道徳です。そこで「無宗教だ」などと聞けば、ではお前の道徳心はどうなっているのだ? と恐怖と不信の目を向けられてしまうわけです。

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日本には確かに契約宗教は存在しませんが、この本を読めば、日本には宗教が「存在しない」のではなく、「意識されていない」のだ、ということを考えるヒントを得られるかもしれません。

西洋発のニッポンブームに背を押されるようにして、日本国内でも日本文化回帰ブームが発生しているのも、日本が真に国際的になろうとしていることの現われではないでしょうか。一昔前の国際交流と言えば、ただひたすらに相手の国の文化を勉強するのみでした。10年前の中学英語教育などは、まさにその典型です。

しかしいまや、国際外交でも個人レベルの交流でも、自国を知り、その歴史や文化に敬意を払っている人間こそが、相手の立場をも尊重できるし、尊重され対等に付き合える人間であると、多くの人が気付いているのだと思います。

これは僕がひとりでに気付いたことではありません。これまで5カ国を旅し、滞在し、10カ国以上の人たちと交流をしていくうちに感じるようになったことです。他人の中には自分が見えます。世界を旅すると、日本が見えます。

自国の文化に愛着を持つことは大切ですが、それは狭量な自国中心主義であっては意味がありません。外国に無条件・無批判にあこがれて、ワナビーになってもしょうがありません。自分の中に価値感の主軸を立てた上で、文化の多様性を認識することが肝要なのではないでしょうか。戦と同様、相手を知り、己を知ること、両方が大切なのだと思います。

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