ガイアの夜明け
『揺らぐメイド・イン・チャイナ』
現在、日本の多くの製造業が、人件費の安い中国に生産拠点を移している。日本で売られている安売り商品のほとんどはメイド・イン・チャイナだ。しかし、7月に人民元が切り上げられた。わずか2%の切り上げだったが、薄利多売で売る中国産製品にとってこれは死活問題である。しかも、これはほんの様子見であり、将来的には20%程度まで進行するとの見方が主流だ。
では、中国進出企業は今後どうしていけばいいのだろうか。
この番組では、2つの事例が紹介されている。
ひとつは、180円という激安スニーカーを作っている神戸の企業【ヒラキ】。
もうひとつは、通信機器メーカー【ユニデン】。
この2つの企業が取った方法は、まさに対照的である。
ベトナムで誰も手をつけていない工場を探し、全てを自己流に改造することにしたヒラキ。(コロナイズ)
中国に根を下ろしてやっていくべく、中国現地スタッフの幹部登用を決めたユニデン。(ローカライズ)
番組は、それぞれの方向性が決まったところで終わる。その後どうなったかは分からない。うまくいったのはどちらだろうか。
こうした問題は、私たちにとって既に他人事ではない。現実に異文化圏に進出し、これから本格的に結びつきを深めていこうとするとき、最終的にどちらの方式が成功を収めるか。自分たちの問題として考えれば、おのずと答えが見えてくるのではなかろうか。
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『私説 じゃがたら現代史』にも、これとよく似た数十年前の問題が描写されている。蘭印時代からインドネシアに移住していた日本人は、商店(トコ・ジュパン)を構え、地域に根ざした商業活動を行ない、信用という価値的資産を形成していた。
それにひきかえ、戦後に進出してきた日本企業は、基幹部分を全て日本人が握り、現地人を安価な労働力としてしか見ていない、と主人公たちが不満をもらすのである。
筆者はあとがきを
戦前、日本人が経営する店「トコ・ジャパン」を通して、現地の人々と密なる交流を図った在留邦人の功績は大きい。50代以上のインドネシア人の好意的な日本人観の形成には「トコ・ジャパン」が大きな役割を果たしている。じっくり腰を落ち着けて、地域社会にとけこみ「トコ・ジャパン」を経営していた戦前の日本人と、戦後、企業戦士として送り込まれてきた日本のビジネスマンとは、体質的に異なる
(中略)
外国で仕事をさせてもらっているという謙虚さを失わずに、そして、明治の末期から「トコ・ジャパン」の先駆者が営々と築き上げた「オラン・ジャパン」=日本人=に対するインドネシア人の信頼感がまだ生きているうちに、私たち日本人は新しい信頼感を作り出すべきではないか、と今切実に考えている。
と結んでいる。
この回の「ガイアの夜明け」はなにとはなしにテレビで見ていました。偶然ですね。いえ、偶然ということはないんでしたね。このブログを拝見して続きも見たくなりました。それにしてもdaceloさんのご感想はまことに的確だと思います。『じゃがたら現代史』の引用も、まさに過不足なくズバリ、バスケットボールでいうならカットイン、読み手の内側に入ってきます。つかみます。余談ですがdaceloさんの文章はほんとうに素敵ですね。
という感想を抱いたんですが、口頭で感想を求められた際には「とてもおもしろかったです。」としか言えなかったのでありました。小学生感想…! この辺は自分にとっての今後の課題です。